西山晃世、幾田りら、小玉ひかり 。聴くたびに、ココロゆれる。「ぷらそにか」インタビューPart1

いま、西山晃世、幾田りら、小玉ひかりを聴かないで、いつ聴きますか?

2020年の前半も終わり今、コロナの影響で大打撃を受けているエンターテインメント業界。
それでも、明るい話題もありました。
若いアーティストが、SNSや動画配信によって、注目を浴びることが増えて来たこともひとつです。
今回、マチセブミュージックマガジンでは
今年、注目度の高い、若手シンガーソングライター3人にスポットを当ててみました。

その3人とは、カバー動画のYouTubeチャンネルを持つ「ぷらそにか」のメンバーでもある、
シンガーソングライター、西山晃世さん、幾田りらさん、小玉ひかりさん。

YOASOBIで大ブレィク中のikuraさんこと幾田りらさんを始め、
SNSで話題の西山晃世さん、小玉ひかりさんが在籍している、「ぷらそにか」とは一体?

目次

ぷらそにか

ぷらそにかofficial引用

Sony Music が主催しているセミナー型オーディション「the LESSON」の受講生らを中心に結成。

構成するメンバー全員が、それぞれソロやバンドなどの形態でアーティスト活動をしている。

総勢34名(2020 年7 月現在) のミュージシャンたちによるセッションユニット。

各々が強力なパーソナリティーと、実力を兼ね備える「ぷらそにか」は、
東京、名古屋、大阪にそれぞれメンバーがおり、

2016 年8 月より、毎週金曜日にYouTube 上にカバーソングを公開し始め、

現在までに300本以上の動画をアップ、
チャンネル登録数13.4万人万人、総再生回数4,600万回以上(2020年7現在、日々更新中)

10 代から20 代前半を中心に、ファンを集める話題のセッションユニット。

ぷらそにかofficial

このセッションユニット「ぷらそにか」は、今後華々しく、デビューすることはありません。
若いシンガーソングライターをより多くの世の中の人に、知ってもらうためだけに存在するセッションユニットです。

ぷらそにか結成に大きな影響を与えた、Sony Musicのシンガーソングライター育成講座

「ぷらそにか」の東京メンバーは、全員がSony Musicが行っている、シンガーソングライター育成講座、
「the LESSON」の卒業生です。
「the LESSON」とは、Sony Musicが才能ある若手アーティストを
3か月間無料で、作詞、作曲、発声など、
シンガーソングライターとして身に着けておくべき基本を、
経験豊富なSony Musicの現役ディレクターやプロデューサー、実際に第一線で活躍しているプロのクリエイター
直接指導が受けられるという言ってみれば、シンガーソングライターの専門学校です。

その受講生や卒業生を中心に、2016年に結成されたのが「ぷらそにか」です。

今回、取材をさせて頂いた、3人のシンガーソングライターも「ぷらそにか」、「the LESSON」と大きく関わっています。

3人には「ぷらそにか」のことだけではなく、
音楽との出会い、葛藤、見据える未来など、熱く語って頂きました。

それぞれのファンの方、ぷらそにかファンの方、
また、これから、シンガーソングライターを目指している方に是非、
読んで頂きたいと思います。

西山晃世(にしやま・こうせい)

西山晃世 Profile
優しくも力強いハイトーンボイスで奏でる音楽は多岐にわたります。
作詞、作曲、アレンジはもちろん、音源の録音時にはギター、ベース、ドラム等の楽器演奏から、
レコーディング、ミックスまで自らこなすマルチクリエイター。
日常の風景や感情を、自身の言葉、自身のメロディーにのせて、
独自の世界を奏でる、20 歳の大学生トラックメイク・シンガーソングライター。

西山晃世インタビュー

まずは、音楽と出会うきっかけを教えてもらえますか?

両親の影響で、家族で車で出かける時は、いつも、音楽が流れていました
それが音楽好きになるきっかけですね。

お父さん、お母さんは、どんな曲をよく聴いてました?

ミスチルさんとかスピッツさんとかのいわゆるJ-POPですね。
僕も小学校時代はミスチルが好きで、よく聴いてました。
今、やっている音楽はR&Bとか取り入れて、やっていますが、
出身というか根っこは、J-POPの王道です。

音楽でプロを目指そうとしたきっかけはありましたか?

小学校4年生か5年生ぐらいの時にいきものがかりさんの、山下穂尊(やましたほたか)さんの影響で、
通販で8000円くらいのアコースティックギターを買ったのが、楽器に初めて触れた時です。
そのあとにエレキギターを買ってみたりしたんですね、当時は、どっちかというとシャイな方だったので、
歌うことより楽器を演奏する方に興味がありました。
その時はまだプロになることは意識してなかったですが、きっかけではあるかもしれないですね。

今はボーカリストのイメージが強いので、少し意外ですね。

そうですね。
中学に入ってドラムも叩くようになって、高校に入った頃には、KANA-BOONさんの曲は、
全曲叩けるぐらいまでになっていましたね。(笑)
それで、ギターとドラムが演奏できるようになったら、今度はベースをやりたくなったちゃったんですよ。(笑)
で、また、バイト代で、安いベースを買って、練習していました。

丁度、その年にSony Musicの「the LESSON」というオーデションがあったんですね、
調べてみたら、Sony Musicが、シンガーソングライターの講習を無料でしてくれるみたいな内容だったので、
面白そうだなと思ったんです。
今まで、楽器とか独学でやってきたので、人に楽器を教えてもらうことはなかったんです。
理論とかいっさい気にしたことなかったので、それで、応募してみたら、
ありがたいことに合格して5期生になることができたんですね。
それが、業界に触れる第一歩でしたね。
この時に、プロを目指してみようかなって思いましたね。

自分で曲作りをするようになったのはいつ頃ですか?

Sony Musicのオーディションに応募した時ぐらいですかね。
応募の項目に「オリジナル曲があれば」というのがあったのですが、
それまで、オリジナル曲は作ったことないなと思って、その時に作りました。

Sony Musicのオーディションがオリジナル曲を作るきっかけだったんですね?

はい、そうですね。
曲を書き始めて、すぐに本格的に音楽活動を始めました。

ターニングポイントというか、自分の音楽性はこんな感じでやりたいというのはありました?

当時は、秦基博さんが好きで、弾き語りを始めたんです。
その時は、ちょっとフォーキーな音楽をやりたいと思っていたのですが、
弾き語りで一年ぐらい活動した頃に、アシッドジャズというか、そういう音楽が流行った時期というのもあって、
自分もそういう感じの音楽をやりたいという気持ちが出てきたんですね。
弾き語りを一年やって来たんですが、自分の中で不完全燃焼感みたいな気持ちになっちゃって・・
弾き語りだと、色んな楽器を触ってきたのに、自分の個性を活かせてないなと思ったんです。

頭の中で自分の曲のアレンジとかが鳴っているんですよね。
ただ、まだその時は形にするすべがなくて、なんて言うんだろう・・
当時、僕の中ではアレンジ込みで一つの楽曲みたいなイメージがあって、
自分の頭にある曲のイメージって、人と共有するのは難しくて、
やっぱり、弾き語りでそれを表現するには限界があるなと感じたんです。
元々はオルタナティブフォークみたいな感じでやりたいと思っていたのですが、
ちょっと、腹くくってというか意を決して、そっちに飛び込んでみようかなと思って
その時に、シンガーソングライターよりも、トラックメイカーの方が、面白いなと思っていました。

メロディーだけではなく、アレンジ、トラックも含めて楽曲を作っていきたいと思ったのですね?
それで「moon」みたいな、お洒落でかっこいい曲が作れるようになったのですね。

ありがとうございます。
アレンジ込みで自分の曲というイメージがあったんだと思います。
弾き語りだけだと、自分の個性が出せないと思って、なら、全部自分でやっちゃおうかなって感じですかね。

そうなってくると、一人で弾き語りスタイルのライブ活動もちょっと方向性を変えないといけなくなりますよね?

そうですね、ライブはその時は重視してなかったのもあって、あまり活発にライブ活動もしていませんでした。
自分の中でギターを弾きながらだと、自分が納得するボーカルを発揮できないなっていうのがあったんですが、
トラックメイカーだと、ライブで音源を流せばいいので、ボーカルに格段に集中できるんですよね。
納得のいくパフォーマンスできるんです。
トラックメイカーになってからは、ライブを楽しめるようになりましたね。

自分で歌うということに集中したかったんですね?

僕、人の研究とかするのが好きで、曲の研究とか、アレンジもそうやって勉強したんですけど
何でこの人の曲って心に響くんだろう・・
自分の中で響く歌と響かない歌があって、この人の特徴ってなんだろうな?と思った時に、
ライブ映像を見ると、楽しい曲だったら、顔が笑ってるし、悲しい曲だったら、泣きそうな顔をしているんですよ。
それを見た時に、表情とか、自分で持っている心情の変化って歌に出るんだなと思って、
自分でもやってみたら、意外と様になるというか、自分でレコーディングしていて、これいいなと思ったテイクが明らかに全然違うものがあって、そういう風に感じると、ボーカル楽しいなと思うようになって、
歌が、上手くなるのが楽しくて、やっぱり。それからはボーカル一筋ですね。

今、こうやって取材させて頂いている時の話す声と歌を歌っているときの声って違いますよね?

よく言われるんですけど、僕、全然そういう技術的なことはわからないんですけど、
もともと、 女性が歌う曲が好きで、それを原曲キーとかで無理やり歌っていました。(笑)
あんまり、お勧めはしないんですが、ほんと、無理やり出して歌っていたので、
音域が広がったというか、こういう声になりましたね。(笑)

初めて音源を発売したのはいつ頃ですか?

2018年の12月にファーストEPを出しました。
弾き語りで、オルタナティブフォークという形をとっていた時に、
自分でトラック作って、レコーディングとかミックスとか全部自分でやっていたのですが、
まだ、トラックメーカーとは名乗っていなかったですね。

それはどういうきっかけで出そうと思ったのですか?

単純に自分の作品というのが欲しいなと思っていて、
やっぱり、「ぷらそにか」メンバーとかとライブやると、物販とかあるじゃないですか、
他のメンバーがCDを売っているのを見て、
自分も「CD出したいなー」と思って、まあ、最初だし全部、自分でやろうかと思って、
手作りで自分のCDを出しました。

その作品は自分ではどうでしたか?

今日、取材があるということで自分の曲を全部聞き直していたのですが(笑)
そうしたら、なんかこう技術的なミックスとかレコーディングの技術とかほんとひどいなーと思ったんですよ。(笑)
今聴くと、レアというか味があるんですけど、当時、できた時はすごい自分では嬉しくて、
初めて、ギター以外の楽器を自分でやっていたのもあって、自分の頭の中で鳴っている音をそのまま落し込んだので、
達成感というか、そういうのが凄かったのを覚えていますね。
今聞くと、「そんなことするの?」みたいな斬新なアイデアとかあるので、
自分の曲ですけど、面白いアレンジだなと思いましたね。(笑)

「ぷらそにか」の活動はやっぱり刺激にはなります?

全然違いますね。ほんと、僕はずっと一人で活動してきていたので、
「ぷらそにか」って、個性の塊というか、我がつえー人が集まっている。
それをこうやっぱ間近で見ていると迫力あります。
なんか、「おもしれーなこいつら」と思いますね。(笑)

みんなシンガーソングライターで、ソロで活動している人達ですもんね、現場で刺激を貰えますよね。

そうですねー、僕、結構ボーカルディレクションとかわりと好きで、
「ぷらそにか」のスタッフさんのボーカルディレクションのやり方を見ていて、
いろんなエンジニアさんとかディレクターさんの技術を目で盗んだり、耳で盗んだりして、
自分のトラックメイクに活かすようになりました。
自分の中に第三者的目線で見るみたいなことがちょっとできるようになりましたね。
自分のボーカルディレクションに役立っているのかなと思います。

方向性としては「ぷらそにか」として、デビューするということではないじゃないですか、
メンバーそれぞれがアーティストとして活躍することがコンセプトですよね?

そうですねー、自分が足りないところはメンバーから学んだり、助けてもらったりできるので、
例えば、ピアノが欲しい時は、誰かに頼もうかなとかありますし、
後は、僕はロジックという音楽ソフトを使っているのですが、
幾田りらちゃんが、そのロジックを導入したらしくて、
わからないことがあれば、すぐ電話がかかってくるんです。(笑)
そうやって、心も支え合いつつ、技術も与え合いつつみたいな感じですかね。
シンガーソングライターって、結構、世間から見ると、異質な存在じゃないですか?

そうですか?(笑)

若いっていうのもあるんですかね。
学生なのに、個人で何かを目指して活動しているというのは、
高校生だとやっぱ、珍しくて、早い段階で「音楽で食っていこう」って、
腹をくくっている人があんまりいないです。

西山さんはいつ頃、腹をくくったのですか?

僕は高校2年ぐらいですかね。
それこそ、Sony Musicのオーディションが受かった頃に、
「音楽業界で食べて行こう」「音楽を職業にしよう」と思いましたねー。

自信はありました?

自信というか、中途半端でやるのが嫌で、「やるならやる!」って感じですかね。
でも、精神的にもきつい時期もあって、そういう時に救いを求めるとか相談できるのはメンバーでしたね。
同年代のメンバーがいるというのがすごく大きかったですね。
今だに、メンバーに連絡とか相談とかしますからね。
困ったことがあれば、まず、最初に聞きますね。
めちゃくちゃ仲がいいと思います。
「ぷらそにか」は、ほんと、仲が良くて、マジで支えですね、あの人たちは。

今、プロになると決断して、3年ぐらいじゃないですか、自分の中での理想像と比べて、現実はどうですか?

僕、いろいろなオーディションとかファイナルまでとか行けることが多いのですが、
いつも、あと一歩で逃してしまうんですよ、何か一つ足りないんですよ。
でもそれが何か自分でわからないんですね。
自分の周りの子が売れていったりするのを見ると、あの子にもできるのであれば、
自分でもできるんじゃないかっていうのが、僕の中にあって、それを信じて走る続ける感じですかね。

Part2へ続く!

西山晃世 Link

幾田りら(いくた・りら)

幾田りら Profile
音楽好きな家族の影響で、小さい時から様々な音楽に触れる生活をしているうちに、
物心つく頃には歌手になることを決意。
小学6年からギターの弾き語りで作詞・作曲を始め、中学3年からは本格的にライブ活動をスタート。
昨年からは、その勢いが、さらに加速。
夏に何本かのTV CMでボーカリストとして起用されると、
秋に開催した初めてのレコ発ワンマンでは、告知後1ヵ月でチケットがSOLD OUT。
また初ワンマンと同じ日に公開した、ボカロPのAyase氏とのユニット「YOASOBI」の「夜に駆ける」は、じわじわと話題となり、各種音楽チャートで軒並み1位を獲得。
今、日本で最も注目を集めるシンガーの1人。

幾田りらインタビュー

音楽と出会うきっかけを教えてください

明確なきっかけがあったわけじゃないんですが、物心ついた時から、父が家でギターを弾いていたり、
気づけば家庭に音楽が溢れていたので、それが、出会いかもしれませんね。

家庭環境が大きかったんですね

もう、物心ついたときから、歌手になりたいとは思っていました。

楽器を始めたのはいつですか?

小学校1年生の頃にピアノを始めて、それから小学校6年生の頃にからギターを始めました。

ピアノ、ギター以外で音楽をやっていたことはあります?

小学校3年生から6年生の初めぐらいまではミューカルの劇団に所属していました。

ミュージカルをやっていたのですね、その影響で好きになった音楽やアーティストはいましたか?

特定のアーティストではないんですが、
小学校3年生ぐらいから、ディズニーチャンネルの「ハイスクールミュージカル」という、
「glee」みたいなアメリカのテレビ番組があったのですが、内容は、学校生活の中で歌って踊ってみたいなもので、
それに凄くはまって、サウンドトラックを親に買って貰うぐらい好きでした。
全部英語詩なんですけど、それを全曲英語でコピーして歌っていました。
ミュージカルの劇団に所属していた時に、ボイストレーニングの勉強もしていました。

りらさんの歌は、凄い音域が広いなと思うのですが、ミュージカルをやっていたのがベースにあったんですね。

それはあるかもしれないですね。
クラッシックのコンコーネという、1番から50番まであるのを全部、歌えるように練習してました。
結構、スパルタに教えてもらっていたので音感とか音の幅とか、かなり練習をしました、
自分の声が出せる音域とかはそういうとこで磨かれたのかなと思います。

ミュージカルはいつ頃までやっていたのですか?

ミュージカルは小学校までです。
中学校入ってからは、部活でオーケストラ部のトランペットをやっていて、
高校2年の引退までやっていました。

シンガーソングライターになろうと思ったのはいつ頃ですか?

ずっと歌手になりたいという夢はあったのですが、
私が小学校6年生ぐらいの時に、
父が、バレンタインか母の誕生日かに、自分で作った曲を母にプレゼントしているのを聴いて、
自分で曲を作る、自分で詩を作るということにすごく魅力を感じました。
その頃にシンガーソングライターってかっこいいなと思い始めましたね。

それで、Sony Musicの「SINGIN’JAPAN」というオーデシションを受けた時にファイナリストになって、
「どういうことをやりたいの?」とオーデシションでの時に聞かれて、
「本当はボーカリストではなく、シンガーソングライターを目指しているんです。」という話をしたら、
「『the LESSON』というシンガーソングライター育成の講座があるから、受けてみない?」と言って下さったのが、
きっかけで「the LESSON」を受けることにしました。
その時に、作詞講座、作曲講座を経て、自分で作詞作曲してみようと思いました。
「the LESSON」で、自分で作詞作曲をするための必要な知識を得られたので、凄くいいきっかけになったと思います。

その「the LESSON」との出会いが、「ぷらそにか」との出会いに繋がっていくんですよね?

そうですね、「the LESSON」での3か月のレッスンを終えてから、しばらくして、
「the LESSON」の卒業生の先輩に「私、が『ぷらそにか』に興味あります!」と相談をしてみたら、
先輩が「シンガーソングライター目指しているのなら、『ぷらそにか』いいんじゃない」と言ってくれて、
その場でスタッフに繋げてくれたんです。
凄く、嬉しかったことを覚えています。

その頃はどんな音楽聞いてましたか?

その頃は高校1年ぐらいなので、バンドとかも聴いていましたね。
RADWIMPSさんとか、SEKAI NO OWARIさんとか聴いていました。
SEKAI NO OWARIとか結構、ファンタジー系ですし、RADWIMPSも詩が文学的だったりするんですけど、
私も思春期だったので、そういう音楽に惹かれてたなと思います。

少し、話が脱線しちゃいますが、セカオワの深瀬さんが、「YOASOBIの『夜に駆ける」』はいい曲ですいね」ってツィートしてくれていましたよね?

そうなんです!!すごく嬉しかったです!!
ライブを行くぐらい大好きだったので、まさか!という感じでした。

その頃は、バンドをやろうとは思わなかったのですか?

実は、中学校、高校と、文化祭だけでやるバンドを組んでボーカルやって、
エレキギター弾いてた時期もあるんですけど、
でも、やっぱり、自分が中学高校の時は、音楽を仕事にしたいと思っていたので、
それを考えた時に、バンドではなく、シンガーソングライターでやりたいなと思っていました。

そこは、自分で曲を作るということに対して、当時から拘っていたということですか?

はい、そうです。

弾き語りスタイルでライブをやることが多いと思うのですが、楽曲制作の時から、弾き語りを意識していたりします?

そうですね、自分で作り始めるタイミングでは、アコースティックギターと自分の声だけなので、
明るい曲だったりするとバンドでどういうイメージになっていくのかなっていうことを考えて作っていますね。
今回、一番新しい「Jukebox」というアルバムあたりから、そういう風に考え始めました。
前作の「Rerise」はアコースティックアレンジのアルバムだったので、
アコースティックベースで考えていて、「Jukebox」のタイミングでバンドアレンジもイメージして作った感じです。

りらさんは、何か去年あたりから、色んな事が変わり始めているように思いますが、どうですか?

そうですね、変わり始めましたね。

去年、東京海上日動あんしん生命のCMで「全力少年」を歌っていましたね

はい、歌わせて頂きました。

あのCMはかなり、変化を生んだと思うのですが、どうですか?

あのCMが決まる、決め手というのがCMスタッフの方が「ぷらそにか」の動画を見てくださっていて、
「この子いいね!」ということで決まったお仕事でした。

それで、今年、YOASOBIですよね、りらさんにはチャンスを引き寄せる力と、
それを活かせる実力があると思うんですね。
チャンスを生かせる人というのは、それだけの努力をしているからだと思うのですが、自分ではどう思いますか?

物心ついた頃から、歌う事に、かなりの時間を費やしてきたので、
ほんと、寝る時間以外は、ほぼ歌っていましたから。
歌と向き合っている時間は、誰にも負けない自信はあります。
それだけ、自分の歌を磨いて来たということですし、
そういう意味で、チャンスを頂いた時に、そこで発揮する準備ができていたというのはあると思います。

今、19歳ですよね。19歳でそういうことが言えるのは凄いですね、
やっぱり、チャンスが来た時に準備ができているかどうかというのは凄く大事なことですよね?

私自身、もちろん「全力少年」のCMのこともYOASOBIのことも、
事前にわかって過ごしてきたわけではないので、
自分が小さい頃から夢見ていた、一番頂点のところは、ずっと、イメージして練習はしてきたので。
やっぱり、自分がチャンスを繋げられたということは、すごく、過去の自分にも感謝したいなと思います。

今はコロナの影響で、ライブとかはできないですが、シンガーソングライターとしての活動はどうですか?

そうですね、秋ぐらいに、シングルを何作か出そうと考えているので、その曲作りを頑張っています。

YOASOBIで、忙しいのに、大変ですね?

はい、でも、シンガーソングライターとしての活動も大好きなので、頑張っていい曲を作りたいと思っています。

今、コロナの影響で、なかなか、ライブというのは難しいと思うのですが、りらさんにとってライブとは何ですか?

やっぱり、私は、自分がステージに立っていて、フロアにお客さんがいて、
その一人一人と目を合わせて歌うこと、歌を届けるということをすごく大事にしていて、
実際に同じ空間で同じ温度で自分の歌を聴いてもらえるというのが、
私の歌で本来私が伝えたい想いが一番届く、直接届くのがライブだと思っているので。
できれば、早く、ライブをしたいと思いますね。

目の前のカメラに向かって歌うのと、実際に目の前にお客さんがいるところで歌うのは違いますよね

そうですね、毎回緊張するんですけど、自分が歌に入った瞬間は、研ぎ澄まされているというんですかね、
自分も集中して、その空間の中で、自分の歌を響かせていて、
それをお客さんに聞いてもらえていることを感じながらライブをすることを意識しています。
それと、私が凄く、ライブで大事にしているのが、
今はそんなに大きなキャパでやっていませんが、本当に端から端、右と左、後ろと前、全部、
必ず、お客さんと目を合わせて、歌う事をすごく大事にしていています。

目が合うというのはお客さんとしては嬉しいですよね。

では、曲作りのことについて聞いていきたいのですがどういう風にやっているんのですか?
今日は曲を作るぞ!というタイプなのか、インスピレーションが浮かんだ時につくるタイプなのか

その二つが重なっている感じですね
最初インスピレーションを受けるタイミングは、生活している時にふと降りてくるのですが、
あとは、通学の時に電車の中で風景を見ているときに歌詞が降りてきたりして、
それをメモに残しておいたりしています。
私は曲を作るスピードが早い方ではないので、
降りて来るタイミングだけを待っていると遅くなってしまうので。(笑)
今は、なかなか難しいですが、外にお散歩に行ったりとか、あとは、通学とか仕事とかで、
電車とかバスとか歩いていているときに、携帯を見ないでまわりをみんな見渡して、
インスピレーションを受けるタイミングを増やすようにしています。

やっぱり、刺激というかインスピレーションを受けることが大事な事ですよね

はい、なので、自然とか風景からインスピレーション受けることが多いです。

Part2へ続く!

幾田りら Link

小玉ひかり(こだま・ひかり)

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小玉ひかり Profile
小学生の頃からシンガーソングライターに憧れて、中学3 年生の冬に、初めて作ったオリジナル曲を
地元の小さなライブハウスで披露する。
高校生になってから本格的に創作活動を開始するも、受験期を迎えて1年間の活動休止を余儀なくされる…。
大学入学を機に創作活動を本格的に再開。
セッションユニット”ぷらそにか”や、アカペラユニット”Whitebox”などでの活動のほか、
自身のチャンネルでも精力的に発信を続ける、ピアノ弾き語りの女子大生シンガーソングライター。

小玉ひかりインタビュー

音楽との出会いのきっかけを教えてください

音楽に出会うきっかけは、4歳の頃に始めたクラッシックピアノが、出会いです。
その頃はピアノを頑張っていたので、コンクールに出たりしていました。
ただ、まだその頃は、アーティストになることは意識していなかったと思います。

シンガーソングライターになろうと思ったのはいつ頃ですか?

シンガーソングライターという職業を知ったのが、たぶん、小学2年生ぐらいの時だと思います。
ミュージックステーションで、アンジェラ・アキさんが「手紙」という曲を生演奏でピアノを弾きながら、
歌っているのを見て、「この曲すごく素敵だなあ」って思ったんですよね。
しかも、その曲を自分で作詞作曲していることを知って、
「全部自分でオールマイティにやっている人がいるんだ」と衝撃を受けました。
その頃から歌を歌いたいなと思っていたのですが、シンガーソングライターという職業の存在を知り、それなら、自分で書きたい曲を書いて、自分で書きたい詩を書くことができたら、すごくかっこいいなと思いましたし、自分の曲でみんなを元気にさせられたらいいなと、思い始めたのがきっかけですね。

アンジェラ・アキさんがきっかけだったのですね。
そこから、本格的にアーティストになろうと思ったきっかけとかあります?

中学生になってからは、一番聞いていたアーティストが高橋優さんで、
強いメッセージ性の歌詞を書かれていて、訴えかけるような歌声にすごく惹かれてました。
改めて、シンガーソングライラーになりたいと強く思わせてくれたのは高橋優さんですね

Sony Musicの「the LESSON」との出会いは何がきっかけだったのですか?

ライブ活動は高1ぐらいから四谷の天窓さんに出させて頂いたんですけど、
ライブで仲良くなった同年代のシンガーソングライター人達が、
Sony Musicがやってる「the LESSON」の話をよくしいて、
高2の時に「the LESSON」のオーデシションを受けました。
ありがたいことに合格を頂き「the LESSON」の5期生になったんです。
「the LESSON」を通じて、シンガーソングライターの人達との出会いが
刺激になって、アーティストになりたいという気持ちが強くなりました。

それはどういった意味で刺激を受けましたか?

なかなか、自分でもアーティストになるために、何をすればいいのか、わからなかったことが多かったので、
ただただ、自分の好きなように曲を書いたりしているだけだったんですね。
でも、「the LESSON」で、同性代のアーティストが音楽を頑張っているのを見て、
「こんなやり方もあったんだ」とか「こんな歌詞を書いている人がいるんだと」いう感じで、
いろんなアーティストの人達と繋がれたことで、自分の視野も広がったし、刺激を受けました。
これから、私も負けないように頑張らないといけないと凄く思いました。

楽器はずっとピアノだったのですか?

ピアノはやっていましたが、小中高と部活は吹奏楽で、クラリネットとトランペットをやっていました。
今、ギターを練習しています!
吹奏楽部って、指揮者以外に、指揮者が指示しきれない部分を支持するコンサートマスターという役割の人がいるのですが、それをやってました!
なので、色んな楽器の楽譜を見ながら、指揮していました。

曲を作り始めたのは中学からですか?

そうですね、まだまだ拙い曲でしたが中学から作り始めました。

一番最初に作った曲は覚えています?

覚えています、作ったというか、ちゃんと、人に聞いてもらえるような曲っていうのが、
母の日に母に作った曲です。

いい話ですね、お母さんは喜んでいましたか?

母は台所で号泣していましたね、、涙もろい人なので、、(笑)

Part2へ続く!

小玉ひかりLink

小玉ひかり最新情報!

小玉ひかりさん新定番曲
「いやになっちゃったときの唄」

ぷらそにか最新情報

8月24日19時より、配信ライブ決定!!

タイトル
ぷらそにカーニバル2020「4th Anniversary Online Fes.」
チケット販売ページリンク
http://stagecrowd.live/3835300915/
販売期間8月24日(月)正午まで

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