K-POPを知り尽くすマルチクリエーターNICE73、OH MY GIRLのボーカルディレクションを始め、作詞・作曲・訳詞・K-POPイベントMCなどマルチに活動するNICE73さんインタビュー

今回、彼女の波乱万丈なアーティスト人生を語って頂きました

NICE73(ナイスナナサン)Profile

中学より⽗の勧めで勉強を始めた韓国語を駆使し、韓国へ留学。2005年当時は⽇本⼈歌⼿が珍しい中ソロ歌⼿として”フノニ“という楽曲で韓国デビューを果たした。

⽇本に帰国後、K-POPが⽇本での旋⾵を巻き起こす中

K-POP楽曲の⽇本語訳詞や⽇本オリジナル楽曲の作詞、作曲、アーティスト

へのボーカルディレクションなど、⽇本におけるK-POPの浸透と発展に貢献

する活動をするようになる。

明るいキャラクターと流暢な韓国語、⽇本語⇄韓国語の通訳を⼀⼈でこなしながら

MCをするという特技を活かし韓国関連各種イベントでMCを務めるように。

近年はテレビのナレーション、レコーディング時のボーカルディレクション、

楽曲提供、K-POPイベントMC、韓国語講師として多岐にわたる活動を続けている。

さらに2016年からは「三々五々に、問う」名義でアーティストとしての作品制作ライブ活動を再開した

Sony Music Publishing

NICE73 Works

<Radio>
InterFM897 「casaricotoradio」DJ
https://www.interfm.co.jp/casaricoto

<Net>
Real Sound Music
「NICE73のNICEなK-POP講座」
https://www.youtube.com/watch?v=UYboOfXjNtE

<MC>
2019年3⽉ ハソンウンソロ初ファンミーテングMC
2019年5⽉ KAIxLEO(VIXX) ミュージカルコンサートMC
2019年5⽉17~19⽇「KCON Japan 2019」 @幕張メッセ meet&greet ステージMC
etc

<作詞・作曲・訳詞>
KARA 3rd single/1st albaum 中「Whisper」作詞、コーラス
2PM 4th single「Beautiful」「君がいれば」Rap歌詞
OH MY GIRL 「Japan 1st DEBUT ALBUM」「Japan 2nd ALBUM」「Japan 3rd Al|LBUM」コーラス、ボーカルデイレクション
etc

目次

マルチクリエーター NICE73(ナイスナナサン)interview

かなりマルチにお仕事をされていると思うのですが、K-POPのイベントMCまで、やられているんですね?

はい。韓国語が話せてK-POPのことも理解しているので、K-POPイベントのMCを依頼されるようになったと思うのですが、最初は、少し戸惑いもありました。アーティストとしての活動と作家としての活動もしていたので、「私でいいんですか?プロじゃないですよ?」みたいな感覚はありました。でもやっていくうちにイベントに出演されるアーティストのことを勉強してインタビューをすることがすごく面白いなと思うようになりました。自分が制作サイドの人間でもありますしアーティストでもあるからこそ聞けることがあるんだなと感じた時「この仕事は凄くやりがいがある。」と思いましたし、イベントの現場でアーティストのファンの方の楽しそうな顔を見るのが凄く嬉しくて、最近はお仕事いただけたら「嬉しい!頑張ろう!」っていう気持ちになるんです。

ラジオやテレビ、ネットとかと違って、お客さんの生の反応が見れますもんね

そうですね。お客さんの反応がダイレクトに伝わってくるので、それがすごく面白いですね。楽しいお仕事です。

でも、スタートは歌をやりたいというところだと思うのですが、そのきっかけをお聞かせいただけますか?

私の父親が元々演歌歌手だったんです。家には常にピアノやギターやレコードがある環境だったので、生まれてすぐに音楽に触れていたというのは大きかったんじゃないかと思います。母親も演歌が凄く好きな人で、とにかく演歌を聴きながら育ちました。私自身は童謡が好きだったらしく演歌と童謡を聴いて幼少期を過ごしました。物心ついた時には歌手になりたいと思ってましたね。

物心ついた時には、もう、歌手になりたいと思っていたんですね

小学校6年生の学芸会で劇団四季の「魔法を捨てたマジョリン」という演目をやったんです。私の役2曲フルコーラスをアカペラで独唱するシーンがあって、その時すごく気持ち良くて幸せで「私歌が歌いたいんだ」って感じたんです。古い芸能界を知る父親は大反対。でも「やりたい!やりたい!」と言い続けていたのでその後父親はダメと言わなくなりました。

憧れは美空ひばり

その頃のナナさんにとっての憧れの人は誰でした?

美空ひばりさんですね、凄く好きでしたね。
やっぱりルーツは演歌なので。
クレイジーキャッツさんとか江利チエミさんなどが魅せるSHOWみたいな世界観が好きで憧れていました。歌を歌うだけではなく人を楽しませるパフォーマンスが好きでしたね。
そのどちらも兼ね備えている美空ひばりさんが好きでした。

その頃は楽器はどうだったのですか?

ピアノは習い事でやっていたのですが全く才能がなくて(笑)もうバイエルで終わり!みたいな(笑)
うちの父親は独学でギターもピアノもこなす人だったんです。その血は何処へ行ったんだろう?って感じですね(笑)

歌手になりたいと決めた学芸会の後はどうしていたのですが?

私が小学生の時に両親が離婚したんですがそのタイミングで父親が突然韓国語を勉強しだして、1998年のフランスのサッカーワールドカップの次のワールドカップは日韓ワールドカップだと決まった時父親が「21世紀は韓国の時代になるから、俺は韓国語を勉強する!」って言いだしたんですよ。

その頃だと冬ソナの前ですよね?お父さんは先見の目 があったんですね

そうですね。それから父は韓国にはまりだして韓国の友人もできたんですよ。そして私に「韓国語を勉強しておけばこの先絶対に役に立つし、きっと通訳もできるようになるから一緒に勉強しよう!」と言ってきたんです。今考えると韓国語なんて英語も習ってないのに興味あるわけないじゃないですか、謎の象形文字を勉強してるような感覚でした。そんな中で唯一面白かったのは韓国歌謡で韓国語を勉強する時間でした。ほとんどがフォークソングだったんですけど、韓国語の響きが好きだったのと歌手の方の歌がすごく上手で感動して、その頃から韓国語の音楽に興味を持ちだしました。

その頃の韓国はチョ・ヨンピルさんが流行っていた頃ですか?

チョ・ヨンピルさんはもはや有名すぎるスターです。当時イ・ソニさんという歌手の歌で韓国語を勉強することが多かったんですがイ・ソニさんは小柄で眼鏡をかけてる可愛らしい方で、声量はすごいし声も綺麗で歌が上手い国民的な歌手でした。今でいうとIUさんみたいな感じですね。イ・ソニさんにはかなり影響を受けましたね。

そこから、日本でなく、韓国で歌手になりたいと思ったんですか?

1998年ぐらいから2000年にかけて韓国ではちょっとテクノっぽいダンスミュージックが流行りました。その当時のアーティストたちは歌のレンジがとにかく広いし高音がめちゃくちゃ出る、そして踊る。“ステージで見せる”ということに関してかなりレベルが高くてびっくりしたのを覚えています。どうせ挑戦するならレベルの高いところでやりたかった。しかもまだ”純粋な日本人”が、韓国でデビューという例が少なかったので「私がやりたい!」と思ったんです。

単身韓国へ

韓国でデビューするきっかけ自体はなんだったんですか?

一人で韓国にオーディションを受けに行ってみたもののなかなか上手くいきませんでした。その一つの理由として「韓国語が上手くない。」と言われそれから1年ぐらいは日本でめちゃくちゃ韓国語の勉強しましたね。その後私の師匠でもある作家のURUさんが、韓国アーティストに楽曲提供していたこともあり「今韓国のこの事務所がナナに興味があるみたいよ」という情報を聞きつけ、その事務所にオーディションを受けに行き事務所が決まりました。

冬ソナブームがあったからとはいえ、韓国から日本より、日本から韓国というのは、まだ外交的にはデリケートな時期だったんじゃないですか?

そうですね、もちろんデリケートなことはありましたけど、私が韓国語を普通に話せることが韓国の方にとって喜んでもらえることでもあったので、嫌な思いをしたことはなかったですし逆に助けてもらった記憶しかないですね。でもデビューする時ビザが貰えなかったので、その時は韓国と日本には見えない壁があるのかなと痛感しましたね。

ビザが降りないと、デビューしても活動すること自体が難しかったんじゃないですか?

ビザが貰えなきゃテレビに出られない、ラジオで曲はかけてもらえるけど私は出演できないんですよね。なので芸能記事のインタビューを受けるのみという状況だったので、デビューしたっていう実感が全然なくて正直悲しかったです。その時期には韓国ではすでにストリーミングサービスが存在し、デジタル配信も身近なものでした。デビューして数年後に「あの歌はナナさんだったんですね!」と書き込みをしてくれるのを見かけて初めて、私韓国でデビューしてたんだなと実感しました。

デビューをした頃は、もう、作詞作曲を始めていたのですか?

いいえ。デビューしても活動ができなかったのでとにかく暇だしお金ないからお腹すくみたいな感じでした(笑)そんな時事務所にいるPDさんが「俺が作った曲の仮歌をうたってくれたら何でも御馳走してあげるよ」と。仮歌のために作詞をするようになりました。そしたら今度は「こんなトラックを作ってみたんだけどこれに合うメロディー考えてみなよ。もし曲が決まったら肉おごってやるよ!」と。それがコライトの始まりでした。それで、ボーカルプロダクションも自然に学ぶようになリました。「SMはこんなハモリをつくる」とか「最近YGはこんな感じだ」なんて話もたくさんして作家活動って魅力的だなと思いだした頃に日本に帰国しました。それが2008年ぐらいなので韓国には6年ぐらいいました。

人生を変える転機と出会い

それで、帰国して、どうしていたんですか?

私はこれまで音楽しかやって来てないと気づいたんです。悩んでいた時URUさんがSony Music Publishing主催のワールドソングキャンプに推薦してくれたんです。「通訳で」という話だったんですけど、当日は日本語の歌詞をその場で書いて仮歌を歌いました。今思えばその時に参加していた作家さんたちは今をときめく凄い方ばかりでしたので、いい経験をさせてもらったなと思います。それがきっかけでK-POPの日本盤アルバムの訳詞のお仕事の依頼を受け本格的に作家活動を始めることになりました。

その時はアーティストとしてというのは、頭の中にはなかったんですか?

考えていましたけど、韓国での6年間で相当自信を失っている時期でした。父親が病気になってその余命が分かった時、父親の夢でもあった“私が表舞台で活動する姿”を見せてあげたくて自作曲でのライブ活動を再開しました

最初に、小さい時は美空ひばりさんが好きだとおっしゃってましたが、その後は、影響を受けたアーティストはいます?

ホイットニー、マライア世代なのでこの二人は学生時代によく聞いてましたね。歌姫って言われるような人が好きでした。日本人だったらドリカムですね。吉田美和さんの声が大好きで、アルバム買ったら全曲コピーしてました。当時は私が音楽を聴く基準みたいなものがあって、ボーカルの真似ができるかできないかという点でした。ドリカムを歌って録音して、それをドリカム本人と同じタイミングで流して聴いて、何処が本人と違うかチェックして寝るのが毎日のルーティーンでした。スティービー・ワンダーとか、デスティニーズ・チャイルドも頑張って真似してましたね。好みで言うとロックよりR&Bとかブラックミュージックが好きかもしれないですね。でもビートルズとマイケル・ジャクソンも大好きでした。これはさすがに真似していませんでしたが。(笑)K-POPならSpaceAが好きでした。男女混成グループなんですけど、キーがめちゃくちゃ高いんですよ!尋常じゃないです(笑)当時韓国ではめちゃくちゃ人気のグループでした。

最近、またYouTubeを始めたんですよね?

再開しました。YouTubeを始めたのは7年ぐらい前なんです。その頃仕事もそんなには忙しくなかったので韓国語講座でもやろうかなと思って始めたんですが、そんな甘くないですよね。うまくいきませんでした!最近暇になりふと「私20年以上前から韓国エンタメにハマってきて、どっちかというと詳しい方だよなぁ。」と思うことがあり自分なりに発信できるK-POP情報があればと再開しました。K-POPにも30年の歴史がありまして。この時これがあったから今ここにこれがある!その歴史を語りたいなぁなんて。

今、ナナさんは、作詞家、訳詞、作曲家、イベントMC、ボーカルディレクションとほんとにマルチに活動されてますが、自分の中で、一番楽しいなと思う仕事はあります?

今は、ボーカルディレクションです。
自分が歌を歌うのが一番好きっていうのもあるのですが、音楽って私は音楽って建造物だって思っているところがあるんです。これ説明するのが難しんですが…例えば「あー」という音にも色々な「あー」があると思うんです。がっかりした時に出る「あー」だったり、突然何かを思い出した時の「あー」だったり。同じ「あー」でも形が違うイメージなんです。アーティストの方と“曲という建造物”に対して色んな声の図形をはめ込んでいく作業が面白いんです。「自分が曲を作る」というよりはアーティストの方と一緒に「創造物を創り上げる」のが楽しいなと感じています。

歌う事が大好きだからこそ、出来ること

OH MY GIRLの日本盤のアルバムはファーストから、全曲、ボーカルディレクションをされているんですよね。

ボーカルディレクションとコーラスを担当させていただいています。日本語になった時のグルーヴ感って韓国語曲とは違うので、再現するのが難しいところがあるんです。グルーヴが変わることで作家さんの意向と楽曲の表情が変わってしまう可能性もあるので。OH MY GIRLのメンバーは音やグルーヴに対する拘りが強く作品としっかり向き合っています。韓国語と日本語でグルーヴが変わるところをちゃんと気にしてくれるんです。そういうメンバー達と意見交わし合いながらディレクションしていくことはすごく楽しいです。でもボーカルディレクションと同じぐらいMCで喋ってる時も楽しいです。人と話をするのが元々大好きなので。そういった意味でYouTubeも楽しんでやっています。

マルチ過ぎるクリエーターのNICE73さん

インタビューを終えて、こんなに、波乱な人生を歩んできて、この明るさはどこから来るのだろうか?というのが一番の印象です。知り合いも友達もいない国に単身で飛び込むことは、かなりの勇気と自信がなければ、出来ないことです。
誰よりも歌う事を愛し、韓国という異国の文化を誰よりも早くリスペクトし、K-POPが世界的ブームを巻き起こす事に誰よりも早く気づいていてたNICE73さん。マルチに活躍する、NICE73さんに大注目です!!

NICE73 最新ニュース

NICE73さんが、日本盤のボーカルディレクションを担当した、OH MY GIRL。
今年の春には、新曲「Nonstop」韓国にて、8冠を達成しましたが、
その日本語verのボーカルディレクションもNICE73さんが担当。

7月27日には、日本オリジナル曲「Lemonade」が配信、
もちろん、この曲も、NICE73さんがボーカルディレクションを担当。OH MY GIRLのメンバーと魂を込めてレコーディングしたそうだ。
詳しくは、OH MY GIRLの日本オフィシャルHPへGO!!
https://ohmygirljapan.jp/

また、緊急企画!!NICE73さんが選ぶ、K-POP名曲厳選ベスト3、男女別!!をマチセブのためだけに選んで頂きました。
K-POPを誰よりも長く、近くで観てきたNICE73さんだからこそ選べる珠玉の名曲を、
NICE73さんの解説付きで選んで頂きました。
近日公開予定!!是非、楽しみにしてて下さい!!

NICE73 Link

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