MISIA・ゴスペラーズ・倖田來未・西野カナ・リトグリ・少女時代・TWICE・GOT7・TXT・etcに楽曲提供をしているスーパーアーティストは日本人の女性シンガーソングライターだった!!Mayu Wakisaka interview Part1

(この記事は緊急事態宣言前に取材したものです)

1人が一生の間に聞ける曲なんで本当にわずかだと思います.
その中でいい曲だなと思える曲もそんなに多くないはず,
でもそんな”いい楽曲”を数多く手がけている凄いアーティスト、
それが、Mayu Wakisaka

一体彼女は何者なのか?

彼女が携わった楽曲、約70曲以上、
そのうち、MVとしてYouTubeにアップされている楽曲の
総再生回数は5億越え
1億を超える再生回数の楽曲が何曲もある!
これほどの数字を叩き出しているのだから、
彼女がトップクリエイターであることは、間違いない。

J-POPのトップアーティストはもちろん。


K-POPのトップオブトップのアーティストがずらりと並ぶ。

そんな彼女は、大阪生まれ、京大卒、単身渡米・・・のシンガーソングライター、
一体、Mayu Wakisakaとはどんなクリエイターなのか・・・

もちろん、K-POPファンなら、彼女のことを知っている人は多いかもしれないが、
しかし、K-POPを聴かない人には、聞き覚えのない人もいるかもしれない。
そういう人には、これを機会にぜひ彼女の名前を覚えてほしい 。

Mayu Wakisakaという名前を・・・

今回、彼女とお会いする機会があり、インタビューをさせて頂いた。
一体、Mayu Wakisakaとはどんなクリエイターなのか・・・
90分近くに及ぶ、ロングインタビュー。
ぜひ、Part1、Part2とも読んで頂ければ、
彼女はいったい何者なのか!?
謎めいている核心に迫ります!

Mayu Wakisaka profile

脇阪真由(Wakisaka Mayu)

大阪生まれ、京都大学法学部卒。

在学中から精力的に音楽活動を行い、大阪市立大学ロースクールを中退し、単身渡米。

奨学生としてLA Music Academyで学ぶ傍ら、在学中にセルフ•プロデュースアルバム”Stars Won’t Fall”より、オリジナル曲”24 hours”

Walkmanデフォルト曲に選ばれ、世界中でファンを獲得。続くEP “Into the Wild”からも”Fall”が新たにWALKMANに収録される。また、2011年に拠点を日本に移しつつも、International Acoustic Music Award1位、など英米豪のソングライティングコンテストで、優勝、入賞を果たすなど、海外からの評価も高い。2014年には日本初のアルバム”Halfway to You”リリース。同アルバムから、シンガポールでは国営放送のテレビドラマのサブテーマソングに”What I See in Love”が起用される。アメリカの音楽フェスSXSW出演や、イギリスThe Great Escape,アジア公演、韓国、シンガポールでの公演、CDのリリースなども注目のシンガーソングライター。

Mayu Wakisaka official HP
TWICE KNOCK KNOCK

主なクリエイターとしての楽曲提供

  • 2015年 MissA(K-POP) Love Song/作曲
  • 2015年 TWICE(K-POP) Like A Fool/作曲
  • 2016年 Apink(K-POP) Drummer Boy/作曲
  • 2017年 TWICE(K-POP) KNOCK KNOCK /作詞・作曲
  • 2017年 OH MY GIRL(K-POP) Real World /作詞・作曲
  • 2017年 少女時代(K-POP)  Love Is Bitter /作曲
  • 2017年 JY(K-POP) Goldmine /作詞・作曲   
  • 2017年 GOT7(K-POP) Face /作曲
  • 2017年 西野カナ(J-POP) Happy Time /作詞・作曲
  • 2017年 MISIA(J-POP) 君のそばにいるよ/作曲
  • 2018年 OH MY GIRL(K-POP) 비밀정원 (Secret Garden) /作曲
  • 2018年 TWICE(K-POP) Candy Pop /作詞・作曲
  • 2018年 MAMAMOO(K-POP) Bomta (봄타) /作曲
  • 2018年 Apink(K-POP) 말보다 너 (Promise me) /作曲
  • 2018年 TWICE(K-POP) Shot thru the heart /作曲
  • 2018年 Hey! Say! JUMP(J-POP) One & One Makes Two /作曲
  • 2018年 倖田來未(J-POP) ScREaM /作曲
  • 2018年 OH MY GIRL(K-POP) Illusion /作曲
  • 2018年 TWICE(K-POP) Say it again /作曲
  • 2018年 ゴスペラーズ (J-POP) Sweetest Angel /作曲
  • 2018年  GOT7(K-POP) Take Me To You /作曲
  • 2019年  ハンスンヨン (K-POP) What Is Your Name /作曲
  • 2019年 TWICE(K-POP) What You Waiting For /作曲
  • 2019年 TXT(K-POP) Crown /作詞・作曲
  • 2020年 Little Glee Monster (J-POP) Symphony /作詞・作曲
MISIA 君のそばにいるよ
目次

Mayu Wakisaka – interview Part1

待ち合わせの場所である、六本木にあるビルの会議室で待っていると、彼女が現れた。
私は立ち上がり、「初めまして、よろしくお願いします」と頭を下げると、
彼女は満面の笑みで「こちらこそよろしくお願いします」と深々と頭を下げた。

完全に想像と違ってた。

仕事柄、数多くのクリエイターやアーティスト、タレントに会ってきたが、
初対面だと、何処か見えない壁があり、、
それをこちらが取払わないと、
素を見せてくれない場合が多いが、

彼女は違った!

会って数秒で、「あ、話しやすい女性だ」と思えた!。

それは、こちらから、歩み寄らなくても、
彼女の方が歩み寄って来てくれると、、
数秒で確信できたからです。

何気ない世間話をしながら、見えない壁を取り払う必要はなかったのです。

楽曲提供の経歴にプラス、
あの学歴・・

いい意味で、私は、
威圧感に押しつぶされないように、
構えていたところは正直あったが、
第一印象は、人なつっこい、とても聡明な女性だった 。
そのおかげで、
会って、5分後にはインタビューを始められた。

すごい学歴ですが、音楽の道へシフトした理由は何だったのですか?

音楽が好きで、その道へ進みたいと思っていましたが、大学進学の時には、
プロとして生きていける!
というビジョンが自分の中で見えていなかったので、
司法の道へ進むつもりでいました。
でも、音楽の道へ進みたいという気持ちが強くなり、プロになることを決断したんです。

学生時代から、音楽の道へ進みたいと思っていたんですね?

そうですね、
子供の頃、クラッシックピアノをやっていたってということもあるのですが、
中学の時に音楽の授業でコンピューターミュージックがあって、
友達ですごく上手な子がいて、
その子が小室哲哉さんの大ファンだったんです。
友達が小室さんの曲を打ち込みをする、
脇坂が歌うみたいな流れがあって、
その時に、自分で、
「結構、歌えるな」って気づいたんです、。

それから、その友達と一緒にカラオケ選手権に出ると、
大阪の代表になり、東京に行くことになるのですが、
中学生にしてみたら、好きな歌を歌うだけで、
新幹線代も出してくれて、東京に行ける!
こんなにして貰えるんだ!
その時に、音楽やるっていいなーと思いました。

その時のカラオケ選手権の審査員だったのが、ゴスペラーズの方達で、
2019年に、彼らに楽曲提供をすることになった時は、
巡り合わせってあるんだなーと感じました、。

小室さんの曲を歌う以外に、音楽でやっていたことは?

そうですね、ガンズのカバーバンドのボーカルやっていたりしました。(笑)

まさかの Guns N’ Roses (笑)

自分が通っていた学校には軽音楽部がなかったので、友達のギターやってる子に誘われたんです
その子と他の学校の学園祭で、ライブやってたりしてました。

その頃、お気に入りの音楽のジャンルとかありました?

今も変わっていませんが、何でも好きなんです。(笑)
Sheryl Crowがかっこいいと思いつつ、
The CardigansのプリントTシャツ欲しいなーと思ったり。(笑)
Green DayとかThe Offspringとかも聴いてましたね

洋楽を聴くことが多かったんですね、そのきっかけになることはありました?

洋楽にはまったきっかけは、
小学5年の時に音楽の先生が、
Madonnaのグレイテストヒッツのレイザーディスクを持っていて、
先生が音楽室の掃除の時に見てたのを見て、
「何!このめっちゃ可愛い人!」となって、

それ以来、
牛乳瓶一本持って、昼休みに音楽室に行く、
Madonnaのグレイテストヒッツを見る、
というのが当時のルーティーンになってましたね。
たぶん、今なら「Taylor Swift可愛い!」と近い感覚で、
Madonnaも見ていて、このアーティストにはまるということではなく、
その時の流行りを聴いていたと思います。

大学の時はヒップホップも聴いてましたし(笑、00’初めの頃ですね)
「Mayu」って入った、でっかいベルトして街を歩いてました。(笑)
Nelly&Kelly RowlandとかSean Paulとかも聴いてた時期はありました。
J-POPなら、CHARAさんとかUAさん、あとCoccoさん、
個性的で詩も共感できる女性シンガーソングライターが多かったので、よく、歌ってました。

10代の頃からアメリカを意識してました?

高校の時からアメリカに行きたいという気持ちはありましたけど、
やはり、アメリカのレベルは違うと当時から感じていたけど、
仕事ということでは当時の自分は全然結びついてなくて、
自分で考えても、自分の歌には、いまお金を作り出す、
ということは見えないと思っていて、

「お金になる?」
いや、ならないな・・
「アメリカ行く?」
通用しないな、けど、
「行きたい!」

どうしようと思って、音楽はやりたいと思っていたので、
大学4年の間に、もちろん勉強もやりつつ、音楽活動して、
オーディションを受けたりとかして、
何かきっかけを掴む方が、
まだ未知の世界(音楽の道)に飛び込むより、
勉強と音楽という選択肢を、
増やした方がいいなと思ったんです。
大学の4年間でどこまで、音楽と仕事を結びつけることができるか、
考える時間を得ることを選んだんです。

京大は出席を取らない大学だということは、
情報として入ってきていたので、入学して、予想通りでした。
これなら、好きな音楽と勉強と両立できると思って、
どうやって音楽を仕事に変えようかなという、浅い夢を見ている第一段階で、
インディーズのオーディションを受けたり、
バンドでデモテープを作ったりしたり、
大手のオーディションに出て、優勝したりとかしてましたけど、

なかなかそこからの底上げができず、
当時はまだSNSもYouTubeもなかったので、
何処へ何を送ればいいんだろう・・・
とちょっと、悩んでいましたね。

アメリカへ単身留学・・・そして帰国、東京インターナショナルミュージックマーケット出演

そして、アメリカへ行く、決断をするのですよね?

当時、その先の10年って考えた時に、
弁護士を目指して勉強する10年か、
自分が好きな音楽の勉強をして10年かって考えた時に、
司法試験に受かるのに何年かかるかわからないと思ったので、
子供の頃からピアノの勉強はしていたけど、
そんなに音楽の知識があるわけじゃなかったんで、
これは、一から勉強しないと、何かこう・・・
音楽を仕事にするのは難しいなと思ったんで、
じゃあ、アメリカに行って勉強しようよ持ったのが、
ひとつと・・

あとは学生時代から、少しずつ、曲は書いていたのですが、
よく、周りから言われていたのが、
歌詞を日本語で書かないと売れないと言われてて、
でも、歌詞を日本語にすると、
リズム感が悪くなったりするのが自分としては嬉しくなかったので、
それなら、英語の歌詞でも成立するものを作ってしまったら、
英語で英語圏で出すとか、日本語に直さなくてもよくなるだろう・・

そういうこともあって、
ちゃんとアメリカに行って、勉強しようと思ったんです。
結局、手に職を付けるというか、
技を身に着けないと音楽の道では生きていけないだろうと思ったんです。
それで、アメリカの音楽学校に行くことに決めました。

アメリカに渡って、どうでした?

アメリカに渡って、半年ぐらい経った時に、
授業で作った曲のひとつが、
ERというドラマのミュージックスーパーバイザーの人が来ていた時に、
学校で一発録音した曲を、
その人に「良かったら聞いてください!」って言って渡したら、
その人が「もしかしたらドラマで使うかもしれない」
と言われたんです。
一発録音だったので、音源にノイズが多いということで、
使われることはなかったんですが、
その時に思ったのが、
私の人種とか、見た目がどうとか、無視した状態で、
楽曲が評価される形がアメリカにはあるんだなというのがすごく心に響きました。

すごいですね、いきなりERとは!アメリカのドラマは見ていました?

もともと小学生の時に映画監督になりたいと、
思うほど映画は好きだったので、
よく見てたのがスピルバーグとか、
お金が掛かったハリウッド映画で、
ドンパチと爆弾が出てこない映画は映画ではない!(笑)
映画館で大迫力で見ないといけないような映画が好きでした。
プライベートライアンを10回見に行って、
でもそれぐらい観ないと、
何処で誰が死んだかわからないんですよね。(笑)

その頃もアメリカのテレビドラマのゴシップガールで、
使われている曲が好きで、
ウエブサイトにいくとiTunesのリンクが張ってあって、
それで、iTunesでその曲が買えるという、
ビジネスモデルが成立していたので、
「あ、こういう形で自分の音楽を聴いてもらいたい」
「なら、もっと頑張ろう!頑張れる!」って思いました。
目の前にご褒美があると頑張るタイプかもしれないですね。(笑)

ゴシップガール以外にも見ていたドラマはありました?

The OCとか グレイズ・アナトミー 見ていました。
その頃、 Death Cab For Cutie 「 I Will Follow You Into The Dark 」が、
ドラマでかかると次の日に iTunes の売り上げが、
バーンと上がるとかありましたし、
当時、OSTブームで(オリジナル・サウンド・トラック)で、
グレイズ・アナトミー で掛かった曲のアーティストが、
インディーズなのにツアーでお客さんが入るようになったりしていました、
それも、全部、同じ、ミュージックスーパーバイザーなんです。

Death Cab For Cutie I Will Follow You Into The Dark

アレクサンドラ・パトサヴァス ですね

当時、カリフォルニアのパサデナという街に住んでいたんですが、
どうも アレクサンドラ・パトサヴァス の会社が、
サウスパサデナにあるらしいと耳にして、
車で探し回りました。(笑)
チョップショップという会社なんですけど、何処にも住所が載ってなくて、
結局、見つかりませんでした。(笑)

OCで人気が出たバンドも多いんですよね。
Snow Patrol、The Frayとか。

今は何か、はまってるアメリカのドラマはあります?

今は、リアリティーショウにはまってて、
ル・ポールのドラツグ・レース(  RuPaul’s Drag Race ) にはまってます.(笑)
アメリカのドラッグクィーン人ってすごくって、
番組の中で、衣装、メイクアップ、モデルウォーク、写真撮影とかの課題があって、
歌も口パクで歌うのですが、
口がピタ!って合うまで歌って、踊って、
全部、一人でやってて、凄いなと思って、
全部で13シーズンあるんですが、一気に全部見ました、めっちゃ面白いです。(笑)

オリジナル曲の24hours を作ったのはアメリカに住んでいたときに?

24hours はアメリカの音楽学校時代に授業で書いた曲です。
2009年頃かな、たまたま、授業でスタジオに入った時に、
時間が、1時間余ってしまって、
せっかくだから、1時間でレコーディングできる曲は何だろう?
24hours だ!と思って、
当時、ルームメイトだった子にギターを弾いてもらって、
レコーディングした曲です。

当時、CD Babyを通じてアメリカで、
ソニーのウォークマンのプレロード曲を募集していたので、
送ったら、連絡が来て、
「使いたい」と言われてて、
「ぜひ使ってください!」ということになったんです。

Mayu Wakisaka  24 Hours

大きなターニングポイントになりましたね?

そうですね、自分の曲が初めて、
何かに使ってもらえたので大きなポイントになりましたね。
使ってもらえたおかげで、世界中の人が聴いてくれたので。
ある日突然、Facebookのフォロワーが増えたので、
びっくりしましたけど。(笑)

でも、2014年ぐらいまでは、インディーズ以下の状態でした。
いわゆるインデペンデントです。
自分でCD Babyを使って、CDを定期的にオレゴンに送って、
CD BabyがCDを売ってくれるという感じでしたねー。
ウォークマンの影響で、
私のCDを買いたいと言ってくれる人は世界中にいたので、
暮らしていけるほどの収入ではなかったですが、
黒字にはなってました。

日本に戻ったのはその頃じゃなかったでしたっけ?

2011年です。
丁度、東日本大震災の2か月後ぐらいです。
仕事はなかったですねー。
でも、CD BabyにはCDを送り続けていました。

大変な時期だった?

「東京に行くか!」と考えつつ、
収入がないと、暮らしていけないので、バイトしつつ、
ライブハウスに出るために、
ライブハウスに連絡しないとなーと思い、
ライブハウスにメールしたんですが、
全く返事が来なかったです。

音源はメールで送っていたのですが、
結局、連絡が来ても、
「一度、来てください」となるので、
フェイストゥーフェイスがないと繋がっていかないんだと、
アメリカとの差を感じていました。
すごく、ゆっくりでしたね、
メールだけで反応してくれたライブハウスは半年でゼロでした。
カフェが一つだけでしたね、
でも、一回顔を出すと、繋がるんですよね、
久々に日本を感じました。

そんな時期を経て、ターニングポイントになることが現れるのですよね?

自分自身で模索の日々が続いていた時に、
知り合いからTIMM( 東京インターナショナルミュージックマーケット)
とっていうイベントあるよって言われて、
出演したのが、本当の意味でのターニングポイントでしたね。
それが2014年だったと思います。

それで、今まで、自分が作った音源を送っても、
何の反応もなかったけど、
TIMMに送ったことで、
シンガポールと韓国のレーベルから、
「CDを出したい」という話が来ました。
その時に、色んな契約の問題とか出てきたので、
知り合いの紹介で、今、所属しているSMPと、
契約をしてお世話になることにしました。

そのあたりから、楽曲提供を始めたのですか?

その頃はまだ楽曲提供はしていなくて、
自分で書いた曲はいいなーと思っていたけど、
まだ、日本でどう動いていけばいいかわからなかったので、
生きていくのに必死でしたね。
当時の日本のレーベルとスペースシャワーさんのご協力で、
24hours のMVを制作してもらいました。

K-POPとの出会い

K-POPへ楽曲提供するきっかけは何だったんですか?

Sony Music Publising(JAPAN)Inc.と契約して、
SMPがK-POPキャッスル(フィンランド)とのコラボで、
ライティングセッションがフィンランドであったので、
それに行かせて頂いて、
日本、韓国、台湾、北欧のプロデューサーが集まっていたのですが、
そこで、初めて楽曲提供する曲を作り始めて、
そのセッションで仲良くなったプロデューサーの人達と、
本格的に始動することになったんです。

Sony Music Publishing (Japan) Inc.は
著作権管理、楽曲の利用開発、音源制作、作家育成・マネジメント
を中心とした音楽の著作権・著作隣接権ビジネスを行っています。

お話を聞いていると、流れを引き寄せる力があるというか、
自己プロデュース能力が高い気がしますね

それは、音楽業界で生きて行く上で、
必要なスキルかもしれません。
笑い話ですが、
今年の正月に母親が、
ミルクボーイのネタを見てインスパイアされて、
おせちの海老天をコーンフレークで作ったんです。

海老天の衣をコーンフレークで作ったのですが、
その写真を私のSNSにアップしたら、
「めざましテレビ」から取材依頼が来て、
実家に「めざましテレビ」の取材が本当に来たんです。(笑)
もちろん、私の仕事のことはめざましテレビは知らないんです。(笑)
普通に「大阪のオカンがコーフンレークで海老天作ってる!!」
ってなったんです。(笑)

それはすごい!!(笑)

今、専門学校でシンガーソングライターの講師として教えさせて頂いていて、
生徒にも伝えることがあるのですが、
チャンスは2つあると思うんです。
チャンスは掴まないといけない、
チャンスを引き寄せる力も大事だし、
チャンスが来た時に、提供できるものを持っているかどうか、
ということが大事だと思います。

それがもしかしたら、K-POPの件で言うと、
洋楽のバックグラウンドがあるというのもありつつ、
日本で育っているのでアジアの音楽も知っている。
アメリカにも住んでいたこともあるので、
ミュージシャン同士のコミュニケーションも楽にできるということが、
全部繋がってやりやすかったと思うんですけど、

まあ、なんか、チャンスがあるプラス、
そのチャンスに対して提供できるものを持っておく、
というのがすごく大事かなと思います。

ご自分のことを俯瞰で見れているんでしょうね、やっぱり、自己プロデュース能力が高い!

そう言って頂けるととオシャレなんですが、
それこそ、京大に行って、普通に就職していれば、
今頃、マイホームを買っていたかもしれないです。(笑)

音楽の道を選んだ時点で、
自己プロデュースって必須なんです。
なので、力があるとか、ないとかじゃなく、
自己プロデュースしていくしかすべがない。

自己プロデュースって、人によって、
得手不得手があるので、
その中に、なんだろう・・
音楽と関係ない仕事を選んだとしても、
自分の中では繋がっていたと思うんです。

元々、そういう能力が高かったんでしょうね

いあ、それも・・
ああ・・どうなんでしょうねー。
元々の能力でもあり、生まれ育っての性質なのかもしれないですが、
言われた通りのことができないという。(笑)
言われた通りのことができないのなら、
自分なりにやるしかないんです!

Part2へ続く

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